「いつやるの?今でしょ!」の決め台詞で2013年もっとも知名度を上げた予備校講師の林修。
職場や飲みの場などでも林修のネタは色んなところで使えるし、よく耳にしていましたよね。
今回は、林修の「今でしょ!」が始まった歴史をどこよりもわかりやすくまとめてみました^^
林修の「今でしょ!」で、いつから始まったの?
色んな先生が次々に登場して学ぶ必要性を
アツく語っている中で、トリに登場する林修の
一言「いつやるの?今でしょ!」(ドヤ顔)
今では世間で日常的に使われるレベルまで
認知度が上がった「今でしょ!」ですが、東進
ハイスクールの2009年のCMがきっかけでした。
東進ハイスクールの国語を担当している林修は
現代文を理解するために必要な漢字をすぐにでも
勉強して欲しいという気持ちから始まったようです。
林修を幼少期から振り返る
父親は宝酒造の元副社長で祖父は歴史画家の林雲鳳
という凄い家系で生まれ育った林修は祖父の黒塗りの
車で幼稚園へ通っていました。
小学校へ通うようになってからは歴史画家の祖父の
影響で学校の図書館にある歴史書や百科事典を
ノートに書き写して独自に学んでいたようです。
そして凄いのが、図書館にある歴史全書を
全て丸暗記するほど学ぶことが好きだったようですね。
ちなみにこのとき学校でのあだ名は「デブメガネ」。
林修本人は、デブにデブと言うのは普通のことだと
言っています。
林修が中学校へ入学してから
いい学校へ入学するために必死で勉強している
人間とは違った林修は、「学ぶこと」そのものが
好きでした。
そんな林修は超難関の名門校で有名の東海中学に
ろくに勉強もせずに一発合格で入学。
中学生で既に大学入試を勉強をしていたくらいでした。
母親からは「勉強しなさい」と言われるばかりか、
「勉強以外のことをしなさい」と言われるほどに
勉強にのめり込んでいたようですね。
林修が高校へ入学してから
今までずっと勉強づくしだった林修が始めて
勉強以外のことをしたのは高校に入ってからでした。
初めに興味を持ったのはミュージシャン。
早速ギターを購入して実践してみたものの、太りすぎで
続くことができずにわずか数日で断念。
その後、身体の大きさを活かしてラグビー部へ入部。
巨体の為、パワーはあったものの、足が遅すぎて
走ることが全然できず、勉強のしすぎが原因で視力も
悪くてボールをキャッチ出来ないため断念。
結局、自分には勉強しかないと悟った林修は東大へ
進学することを決意します。
林修の大学へ入学してから
東大へ入学することを決意したとは言っても、
林修にとって東大に合格することなど当たり前
だという余裕もあり、合格発表を見に行かないほどでした。
結局、東大法学部に入学した林修は今まで通り
学問を学び続けていたのですが、20歳の時に
今後の人生を大きく左右する出来事が起きます。
それは林修の人生初めての一目惚れというやつでした。
合コンをきっかけに林修の人生は変わった
人生で始めて女性と遊んだ林修は合コンで出会った
ある女子大生に一目惚れ。
今まで体験したことのなかった感情や感覚が
身体の中で燃え上がったんでしょうね^^
しかし、好みの女性が合コンに参加していた
喜びは束の間、林修はトイレから戻った時に
ショッキングな言葉を耳にします。
「○○かわいそうね。あんなデブにつきまとわれて。」
今まで「デブ」の言葉に特別反応してなかった林修は
始めて一目惚れした相手の女性の会話にショックを
受けてしまいました。
林修流・フレンチダイエット
女性と遊ぶには痩せないとダメだと悟った林修は
その卓越した頭脳を使い、自分に合ったダイエットを
研究。あみ出されたのが「フレンチダイエット」でした。
内容は、フランス料理店で安いランチを毎日食べ、
朝・夜は何も食べずに夜は走るという斬新な手法でした。
しかしなんと、林修はこのフレンチダイエットで減量に
成功。当時100㌔あった体重は、70㌔まで減りました。
するとなんと今までは見向きもされなかった「デブ」が
女性に声をかけられるようになったのです。
そして才能の開花は全て欲望が原点だった
女性と普通に会話ができることに喜びを覚えた
林修の想像力と野望はどんどん進んで行きました。
「女性とデートがしたい^^」
しかし、デートをするにはお金が必要でした。
そこで林修がしかたなく始めたのが家庭教師の
アルバイトだったのです。
もともと学ぶことが好きだった林修は自分が
勉強が出来るだけではなく、なんと教えることにも
才能があり、林修が教えた生徒は100%成績が
上がることで有名になりました。
なんと、中には学年で334位の学生の成績を
学年で2位まで引き上げることにも成功したようです。
そういった実績からすぐに林修の話はクチコミで
広がり、1日に家庭教師のバイトを3件ハシゴする
日もあって全ての食事を仕事先で食べるなんてことも
あったくらいです。
そんな林修のアルバイトの月収は50万円を
超えていたようです^^
初めての就職と多額の借金
1988年に日本長期信用銀行に入社した林修は
なんとすぐに自分が勤めた会社が潰れると予想。
周りの社員はまさか銀行が潰れるはずがない。
好景気に浮かれる者ばかりだったが林修は違いました。
そしてなんと日本長期信用銀行は9年後に破綻。
見事、林修の推測は当たりました。
しかし、退職してから何かやる当てもなかった林修は
今までの勉強に培ってきたノウハウを競馬予想に
使用して見事的中。
そのほか、株や投資などにも手を出していきます。
投資資金を増やすために親や親族だけではなく、
消費者金融からも借金を重ね、つもりに積もった
借金はついに1000万円を超えます。
結局、返せるあてもなかった林修は考えました。
しかし、同じ東大を卒業した同期はエリート企業や
官僚へ転身を遂げる中、家庭教師という仕事が
自分自身の中で嫌でした。
林修が勝てる世界・それは勉強の世界
しかし現実は厳しく、自分がこの世界で生き残って
いくには自分が勝てる土俵で勝負するしかない。
林修が勝てる土俵・・・それは勉強でした。
そんな中、知人から塾で働いてみないか?と
声をかけられたことがきっかけで東進ハイスクールで
仕事をすることになります。
はじめはアルバイトで働くようになった林修は
すぐに正式に数学講師として採用が決定します。
しかし、この東進ハイスクールはプロ野球選手と
同じ年間契約の完全実力主義。もちろん、結果を
出せなければ生きていくことはできない厳しい世界でした。
そこで林修は数学講師として採用が決まったものの、
周りを見渡して更に自分が勝てる教科を考え抜いた結果、
現代文だと悟り、現代文講師として活動を始めます。
そして林修の「今でしょ!」はこうして生まれた
東進ハイスクールの中でも更に東大を目指す学生が
本気で入試対策の為に通う東大特進に出向した林修は
過去30年にさかのぼって東大の入試問題を研究しました。
もちろん、当時はまだ無名だった林修は生徒からは
見向きもされず、まともに林修の授業は生徒たちに
聞いてもらうことが出来ませんでした。
そこで林修は受験対策のみならず、人の心に響く
言葉を過去の偉人たちの言葉を調べて研究。
学生たちが燃え上がる言葉を探している中、
不意に出てきた言葉がありました。
「いつやるの?今でしょ!」
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